みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

「記録」を消しても「記憶」は消えない

好きだったバンドがコロナ禍の影響を受けて解散した。

解散の理由については本人たちのコメントがやや曖昧なところもあったためにいろいろと噂されていたけど、その後所属事務所ごとなくなってしまったので事務所側の都合なんだろうとわたしは考えている。ライブができない環境の中で、稼ぎ頭を守るために下っ端を切り捨てるようなことくらいなら平気でしそうだなという印象を事務所に感じていたからだ。



ライブに行くとなるとやはり周りの目も気になる。わたしが住んでいる関西圏では、感染拡大初期にライブハウスで感染者クラスターが発生したこともあって、ライブハウスに対する印象はすこぶる悪い。

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彼らは解散する前にいくつかライブをやっていたけれどもわたしはそのどれにも行くことはなかった。
応援しているバンドが解散したとき、そのバンドとよく対バンをしていた別のバンドを追うようになる、というのはヴィジュアル系のファンにはよくあることなのだが、さまざまなリスクを冒してまで応援したいと思えるバンドもなく、そのままフェードアウトするような形でわたしは界隈から姿を消すこととなった。

解散後、わたしのいわゆる「推し」はYoutuberとして活動する道を選んだようだった。
ミュージシャンがバンドを辞めてYoutuberになるケースは多々ある。うまくいっているケースはあまり見たことはないものの、まあ例えば「歌ってみた」や「踊ってみた」をアップするのならそれなりにうまくいくのではないかと思っていた。
しかし実際にやっていたのは初期のYoutuberがやり尽くしたようなつまらない企画もので、彼の良さを引き出せるような点がまったくない。その上動画に映っている彼は回を重ねるごとに醜く太っていっていた。かつて彼は太りやすいことを気にしてジムに通い、トレーニングをしている様子もSNSにアップしていた。あの意識の高さはいったいどこに行ってしまったのだろう。

変わり果てた姿に心底がっかりして、わたしは彼の動画をそっと記憶の底にしまい込んだ。
ステージの上にいた、きらきらした彼の姿がわたしにとっての「彼」だ。この状況下で何事もなく無事に生きている姿を見て安心したい気持ちはあれど、見る度に気持ちがげんなりとしてしまう。

こんな姿になってしまって、とか、コロナウイルスさえ蔓延しなければあの頃の彼をまだ見られたのかな、とか、結局その程度だったんだ、とか。
彼が自分自身をよりよく見せようとしすぎてしまうためにわたしが彼に期待しすぎていた、という部分も大いにあるだろうが、正直なところ自分の見る目のなさに本当に失望した。
いや、本当は「彼が必要以上に自分を良く見せすぎている」ということに気づいてはいたものの、気づかないふりをしすぎてしまったのかもしれない。

いつしかわたしは、変わり果てた彼の姿を反面教師とするようになった。
わたしの姿は彼とは違って誰も見ている訳ではないけれども、それでも「わたしを見ている仮想の誰か」を失望させないように振る舞うことを決めた。

自分で決めたことはしっかりやり通す。
必要以上に自分を大きく見せない。
自分の良さを、自分で殺してしまうようなことはしない。

そうしているうちに、わたしは彼の様子をいちいち気にするようなことはなくなった。


数ヶ月が過ぎたある日、ふと気になって彼のアカウントを検索した。
すると、彼はどうやら別の事務所に入ったのか、新しいバンド?なのかユニット?なのかのメンバーとして名を連ねていることがわかった。
ただそれだけなら「これで彼の良さも活かせるようになるのかな」程度で済むのだが、問題はここからだ。

普通のロックバンドではどうなのかわからないが、ヴィジュアル系界隈では「新しいバンドに加入した際はSNSの投稿をすべて消去する」というのが暗黙の了解になっているらしい。フォロー・フォロワーはそのままにして、過去のことをすべてなかったことにしてしまうのだ。

例に漏れず、彼の投稿もすべてきれいさっぱりなくなっていた。
SNSの投稿だけでなく、Youtubeもチャンネルごと消滅していて、本当にすべて「なかったこと」にされていたのだ。


このようなしきたりを知っていたとはいえ、実際にやられると本当にショックだった。
もうこれで昔のライブの思い出を振り返ることはできなくなる。昔の出来事を思い返したくても、どこかでアーカイブされていない限りはその出来事にたどり着けなくなってしまう。

そう思っているうちに、すべてが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。

2年半がむしゃらにやってきていたことすら、新しい活動のためならいとも簡単に消し去ってしまえるということだ。
彼らの活動を熱心に追っている人なら新しい活動先も何らかの方法で知り得るだろうが、「そういえば好きだったな」という程度の人たちはまったくの置いてけぼりになってしまう。

何よりも、わたしたちが応援してきていたあの姿たちも「その程度」と判断されたように思えてしまった。
指先ひとつで簡単に消してしまえるような、あっけないもの。間違えて書いてしまった文字を消しゴムで消すことよりも簡単に、思い出がすべて消されてしまう。

それがひどく空しく、そして悲しかった。


いくらSNS上の「記録」を消したとしても、ファンだった人たちの心の中にあるそれぞれの「記憶」はそう簡単に消してしまえるようなものではない。
しかしながらひとの記憶というものはときに曖昧で、かつ時間がたつごとにゆっくりと薄らいでしまう。それを引き留めるためのツールが「記録」だと思っている。紙媒体に残っているインタビューなどの「記録」とはまた違って、SNS上の「記録」は彼ら自身の言葉であるがゆえにより生身に近い。
だからこそ消さずに残しておいてほしかった。すべてを「なかったこと」にするにはまだ早すぎる。


彼らのバンドが解散したときにヴィジュアル系界隈からは卒業するつもりでいたけれども、今回の一件でその決意がより強固なものに進化した。
あの界隈はひとの心を、記憶をないがしろにしすぎている。

音楽的なジャンルに囚われずさまざまな楽曲に触れられることが一番の魅力だと思っている。いろんな音楽が聴けて、いろんな人と知り合えて、本当に楽しかった。

でも、今こそ本当に別れを告げるときだと思った。
一番大事な自分の心と、自分の記憶をこれ以上粗末に扱われたくない。


さようなら。ありがとう。楽しかった。