みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

適応障害を発症したときの話

わたしが適応障害を発症したのは2017年の年末頃のことだ。

当時わたしはとある金融系の現場にシステム担当のマネージャーとして常駐しており、5人ほどの小さいチームで運用や保守の業務を行っていた。
最初のうちはよかったものの、初期構築時のハードウェアの不具合やパッケージのバグ、他システム障害の巻き添えなど短期間にさまざまなトラブルがあり、目の前に多種多様のタスクが積み上げられるようになっていった。

ベテランは減り、新人が増える

そんな中、チーム内にいたベテランのメンバーが自社を退職するため現場から離れることになった。彼は実作業だけでなく仕事の調整もできる人だったので安心して仕事を任せていたのだが、彼が離れるとなるとそれまで彼がやってくれていた調整ごともすべてわたしの仕事となる。
そして同時期に新入社員が配属することになり、わたしがそのOJT担当となった。わずか2ヶ月ほどの間に、わたしの仕事は一気に2倍以上に膨れ上がったことになる。

初めのうちは一生懸命すべてのことをこなしていたものの、少しずつ無理が生じてくる。
やがてわたしはもう何から取りかかればいいのかわからなくなってしまった。

仕事の優先順位がわからない。
取りかかっても集中力が続かず、すぐにぼーっとしてしまう。
他の人の話す言葉が理解できない。
話すときに単語が出てこなくなり、「あー」「うー」「あれ」「えっと」ばかりになってしまう。

それまでできていた仕事が、まったくできなくなってしまった。
そして「できない」ということを自分自身で認めることができず、進捗上は「問題なし」と報告するようにもなってしまった。しばらくはごまかせても、次第に問題は表面化していく。報告の遅れが原因でシステムトラブルに発展しかかったとき、わたしはようやく「自分はもうダメなんだ」と認識した。もはや遅かった。判断ができなくなってしまうほど、わたしの心身は壊れてしまっていた。

追い詰められた原因は、他人を信じられなかったこと

わたしはひとりきりですべての仕事を抱え込もうとしていた。自分ひとりだけで、目の前にあるすべてのタスクを完璧にこなさなければならないと思い込んでいた。
ひとりきりですべての工程を終わらせられる仕事なんてほとんどない。自分はシステムの細かい部分まですべてを把握しているわけではないし、そういった細かい仕様をちゃんと押さえているメンバーがいるのだから彼らに一部の仕事を任せてもよかったはずだ。

でも、それができなかった。
当時のわたしは、自分の目で作業の完了を見届けないと気が済まなかった。他人は自分の思っていたとおりに作業を完了してくれないかもしれない。自分でやれば、自分の思った基準で仕事を完了させることができる。だから自分でやらなければならない——そんな風に考えていた。つまり、他人の仕事ぶりをまったく信用していなかったのだ。

リーダーがそんな様子ではメンバーの士気が上がることはまずない。わたしは自分の役割を完全に履き違えていた。わたしが本当にやるべきだったのは自分で手を動かすことではなく、目の前にある仕事を適切に配分することだった。それに気づいたのは当時の会社を退職してからのことである。

では上司はというと、他に何の仕事をしていたのやら、わたしがいる常駐先に顔を出すことはめったになく、来たと思ったら「子どものお迎えがあるから」といってさっさと帰ってしまう*1。相談をしたくても捕まらない。今度、今度…と思っているうちに事態はますます悪化していく。

理解のない上司

上司と話ができたのは、わたしが「もう無理です」と診断書を提出したときだった。3ヶ月の休職を要すると記載された診断書を見て、彼は「何とかならない?」といったことを告げてきたように記憶している。要するに、「診断書が出ている。それはさておき、何とか出勤できないか」と言ってきたのだ。

わたしは愕然とした。この人は診断書に書いてある文字が読めていない。そこには「休まなければならない」と書いているというのに、彼はそれを無視して出勤させようとしたのだ。
「ここで折れたら死ぬ」わたしはそう直感した。これこれこういう症状が出ていて、とてもじゃないですがこれまで通りには働けません。わたしは泣きながら必死に説明した。自分の状況を説明することも辛かった。これまでは一生懸命働いてこられたはずなのに、今は体がまったくいうことをきかない。思い通りに動けない自分を自身で認識してしまうことがとにかく嫌だった。話しながら「こんなにできない人間じゃなかったはずなんだ」と怒りにも似た思いを抱いていた。

半年間の休職、そして…

結局、休職期間はもう3ヶ月延びて半年間となった。社の規定で、休職期間が1年未満の場合は基本給の分だけの給料が支給されることとなっていたため生活に困ることはなかった。その代わり「何も仕事ができていないのに給料だけもらうなんて」という罪悪感に苛まれていた。

SNSには「休職したから平日に出かけられる!」なんて明るい書き込みをしていた*2けれども、実際のところは夜眠れず、暴食をし、アルコールがやめられず、天気の悪い日にはベッドから起き上がれなくなる。「まともな人間の生活」とはほど遠い生活を送っており、こんな調子で本当にもとの自分の生活に戻れるのだろうか?という不安もあった。不安があったからこそ、姿の見えないSNSでは極めてバカっぽく、明るく振る舞っていたのかもしれない。

そして半年の休職が明け、慣らし勤務をすることになったある日。
久々に会った同期がこう声をかけてきた。

「あれー?生きてたんだ(笑)」

休職明けのわたしの心に、この言葉は鋭く、深く突き刺さった。
わたしは死んだと思われていたのか?死んでいてもらいたかったとでもいうのか?
彼にとっては何気ない冗談であったのかもしれない。それでも言っていいことと悪いことくらいわかっていてほしかった。

その挨拶に何と返したのかは覚えていない。そのときに「もうこんな会社辞めてやろう」と強く感じたことだけははっきりと覚えている。
この会社にいる人間は、誰ひとりとしてわたしのことを大事に扱ってはくれない。直属の上司も、部長も*3、同期も、誰も辛さを理解してくれなかった。寄り添おうとしてはくれなかった。わたしを大事にしようとしない会社なんて大事にしてはいけない。そう感じたのだ。

自分を大切にするということ

「自分を大切にしなさい」とよく言われる。しかし結局それって何をすればいいの?と感じている方は多いかもしれない。
このときの経験から、わたしは「自分のことをぞんざいに扱う人や環境から離れる」ことが自分を大切にすることのひとつなのだと考えるようになった。

表面上は仲良くしているものの何かとマウントを取ってくるような友人、子どもを自分の思い通りに動く人形としか考えていない親……そんな人々と一緒にいても自分が傷つくだけだ。完全に縁を切らずとも、なんとなく疎遠にするだけでいい。いつしか自分の心に平穏が訪れていることに気づくだろう。その結果としてひとりになったとしても、自分だけは自分を大切にしてくれる。それだけでも十分だと思う。

自分を大切にしていれば、自分を大切にしてくれるような人や環境と巡り会うことができる。
自分を粗末に扱えば、結果として心身を病みその後遺症と付き合い続けなければならない。
わたしのような人がこれ以上増えないよう、皆様には自分を大事にして生きてほしいと切に願っている。

*1:お迎え自体はもちろん悪いことではない。ただやることをやらないまま帰っていくので当時はサボりの口実としか思えなかった

*2:今思えばそれが余計に反感を買うことに繋がったのではないだろうか

*3:復職時に同じ上司のところに戻そうとしたので丁重にお断りさせていただいた