みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

一年で最も憂鬱な季節

「母の日」がやっと過ぎ去ってくれて、正直ほっとしている。

わたしにとって、GW明け〜母の日までの数日間は一年の中で最も憂鬱な時期だ。
長い休みが終わり仕事や学校が始まるから、とかそういう理由ではない。この時期に広がる「母に感謝の気持ちを示すべき」という空気感が、わたしはどうにも好きになれずにいる。


何をしても喜ばれることはなかった

母親の誕生日は5/6なので、誕生日のお祝いと母の日を兼ねてプレゼントをするようなことが度々あった。
昔のわたしはちゃんと母親のことが好きだったし、それなりに感謝の気持ちを示すつもりもあったのでプレゼントを考え、買ってきて、渡すようなこともしていた。
しかし彼女は、わたしが何かをするといつもこう言ってきた。

「こんなん、別にいらんかったのに。」
「来年はもうなんもせんといてな」

ありがとうの一言ももらえないまま、プレゼントは部屋のどこかに押し込まれる。照れくさいのもあるんだろうが、そんなことを毎年繰り返されてしまうと「もう今年はいいかな」という気持ちになるのは当然のこと。わたしはいつしか、母親の誕生日も母の日のプレゼントも、何もしないまま過ごすようになっていた。

だがそれでいて、誕生日には決まって「今日は誕生日だから!今年から怒らないように生きるわ!」と高らかに宣言*1する。祝ってアピールに聞こえて非常に鬱陶しい。けれどもお祝いをするといえば「もったいないから嫌だ」という。祝ってほしいのかほしくないのかはっきりしてほしいし、何よりも「お祝いをしたい」という気持ちを無駄にしないでほしかったと思う。

母親には感謝の気持ちを示すべき?

「母の日」自体がアメリカの文化を輸入したものであり、現在の日本の風習は企業がそれに乗っかったものだということは重々理解している。
それでも、街中で「母の日のプレゼント」などといった文言を見かけたり、ラジオで「お母さんへのありがとうメッセージを…」などと聞いたりする度に、「母親に感謝をしないなんて親不孝者め」と責められているような気持ちになってしまう。

そして何よりも、プレゼントを素直に喜んでくれる母親をもつ「普通」の人たちが羨ましくて仕方がない。
あんな母親の娘として生まれなければ、毎年毎年こんな思いをしなくて済んだのではないか。そんなことをつい考えてしまう。

母親に感謝することが「当たり前」で「正義」、それができない子どもはおかしい。一般的にはそうなのかもしれない。
ただ、「感謝」というものは強制されてするものではない。親だから無条件に感謝する、というのも違う。いくら感謝をしたくても、感謝よりも怒り、悲しみ、寂しさといった負の感情が先に沸き起こってしまうという人も、わたしの他に多くいるのではないかと感じている。

息を潜めて過ごした日々

とはいえ「母の日を祝うな!」と言ったところで、根付いてしまった風習はそう簡単に変えられるわけがない。幸いなことに去年も今年も外出自粛が叫ばれていたので、わたしはできる限り外に出ないようにしてひっそりと過ごしていた。
外に出てしまえば、嫌でも「母の日」という文字を見ることになる。マスクなしで友達と楽しく宴会をする人々を見ないよう外食を控えていたときのように、見たくないものがあるのなら自分から離れるのが得策だ。他人を変えることはできないし、ましてや世間を変えることはもっと難しい。ならば、自分が目をそらし続ければいいだけだ。

一年で一番憂鬱な数日間がやっと終わってくれた。
来年のこの時期には、世間の風当たりも心の中に残っている罪悪感にも立ち向かえるほど強くなっていたいと思う。

*1:そしてその日のうちに些細なことでキレて宣言を台無しにする。