みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

社畜自慢をする心理

「社畜系YouTuber」の動画を見る機会があった。
実際の勤務時間と勤務報告書との時間が大きく乖離していること、そのためどれだけ働いても残業にはならず手取りが増えないことを嘆いているようなそんな動画だった。そしてその動画には、当たり前のように
「なぜ辞めないんですか?」
「労基に訴えればいいんじゃないですか?」
といったコメントが付いている。
その方が会社を辞めたり訴えたりしない理由までは把握していないものの、その理由に少し思い当たるフシがあるので書き残しておくことにする。

残業時間 190時間/月

2015年頃のことだっただろうか。わたしはとある炎上中のプロジェクトにチームリーダーとして放り込まれることになった。
規模の大きいプロジェクトだったこともあって、プロジェクト内は業務チーム、アプリチーム、基盤チームに分かれており、基盤チームの担当が長らく不在だったために結合テストがボロボロの状態になっている、とのことだった。
要は案件のPMが要員のアサインをミスってしまったがために発生した自業自得の炎上案件で、わたしはそのリカバリ、もとい尻ぬぐい要員として駆り出されたというわけだ。今思い返せば、わたしが後に精神を病むことになるきっかけはこのプロジェクトにあったのではないだろうか…

プロジェクト管理だけではなく何事に関してもそうだが、立て直しを図るためにはまず現状を知る必要がある。
ろくに引き継ぎもされないまま放り込まれてしまったため何がどうしてこうなったのかもまったくわからない。過去の設計資料・会議資料をひたすら読み返して理解していくしかない。上長があてにならないということは放り込まれた段階でもうわかっていたので、とにかくこれまでの足跡を辿っていくという方法で問題の原因を探っていくことにした。もちろん膨大な時間がかかる。しかしそれしか方法はない。ならばと、わたしはひたすら残業をしてその作業を進めていくことになった。

前の会社が特にブラックだったのは、裁量労働制を採用していたところだった。
本来では超過勤務とされる時間帯に勤務をしていたとしても、22時を超えなければいわゆる残業代は出ない。みなし残業代は出ていたがそんなものは実態の労働時間に比べればすずめの涙だった。どれだけ働いても働いても給料に反映されない。これはなかなか心にくるものがあった。

その頃の残業時間は月に190時間超え。このうち、超過勤務手当が出ていたのは半分にも満たない時間だったと記憶している。

SNSでの社畜自慢

先日Instagramの過去の投稿を整理していたときに、この頃の投稿もいくつか見つかった。部屋の天井や酒の写真とともに「もうそろそろやめたい」「今日も深夜まで残業」などといったキャプションがつけられている。当時のTwitterの投稿はもう残っていないが、記憶の限りだとわたしは似たような投稿をTwitterにもしていたはずだ。そしてフォロワーから「大変そう」「辛かったら休んで」というリプライをもらっては、「やめたい」「休めたらいいんだけど」みたいに返していたのではないだろうか。

今振り返ると、当時のわたしは「社畜である自分」に酔っていた。
無能な上司から火消しを求められた時点でそんな会社辞めるべきなんだろうと薄々思ってはいながらも、結局は辞められずにその会社にしがみついてしまう。転職するのが怖い、辞めたら次が見つからないかもしれない、そんな不安ももちろんあったが、一番の不安は「社畜でみんなに心配されている自分」というポジションを失うことにあったのではないだろうか。

その頃のわたしは、写真を撮ったり小説を書いたりと発表する機会はあったもののほとんど評価されず、SNSのフォロワーも大して多くはなかった。友人にフォロワー1000人超えの人がいたので劣等感を感じていたというのもある。そんなわたしが、自分のアイデンティティとして見出していたのが「社畜」だった。「自分はこんなに仕事をしている」アピールをすれば誰かが構ってくれる。同じような仲間を作り傷をなめ合うこともできる。お手軽なものだ。

わたしは「社畜芸人」を演じるために、自分の心身の健康を犠牲にしていた。とも言える。

「社畜」が「社畜」をやめるとき

もしも「社畜系YouTuber」が「社畜」をやめたら、そこには何が残るのだろうか?
当時のわたしはYouTuberではなかったものの、転職して「社畜」をやめたわたしに何も残りはしなかった。残ったのは心療内科への通院履歴とこころの病の後遺症だけだった。

mywk6.net

「社畜」を辞められずにいる彼らも、もしかしたら同じ悩みを抱えているのかもしれない。本当は辞めたほうがいいとわかっている。でも、辞めてしまうと自分には何も残らない。社畜でない自分が、Youtubeで発表できるものなどあるのだろうか?そう考えてしまうと、苦しくても今の生活を続けたくなってしまうという気持ちも理解できる。
また、これは視聴している側にも問題があるのかもしれない。誰しも少なからず自分よりも苦しんでいる人のことを見て安心する面はあるので、動画を見て、相手を心配しつつも「自分はこうじゃなくてよかった」と胸を撫で下ろしている部分はないだろうか?

苦しい生活はそう長く続けられない。いつか糸が切れ、わたしのように後遺症を抱えながら生きていかなければならなくなる日がきてしまう。
この世界からブラック企業をなくすためにも、彼ら自身の未来の生活のためにも、誰しもが「社畜」という不健全なアイデンティティの価値をじっくり考え直す必要があると感じている。