みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

不携帯電話

今日一日、個人携帯を家に置きっぱなしにしたまま日中を過ごした。
鞄の中に入れたと思ったら実はソファーの上に置いていて、しかも最寄り駅に着くまで気づかなかった。

しかしそれで何も困ることはなかった。
帰宅してから確認してみたらgmailの通知が何件かきていたくらいで、急ぎで見なければならないようなものは本当に、何もなかった。

「スマホって本当に必要なんだろうか?」

そんな疑問を改めて抱いた一日だった。

異様な光景

もう5年くらい前になるだろうが、弟から「今電車乗っててもみんなスマホの画面見てて怖い」という話をされたことがある。
そのときは「そうか?」とあまり気にしていなかったのだが、1ヶ月スマホをほとんど触らない生活を送ってみてようやく彼の言わんとしていることがわかってきた。確かに異様だ。皆が無表情で画面に向かっている様子には何ともいえない薄気味悪さがある。

その平たい板の向こうにいったい何があるのだろう。どれほどの人が明確な目的を持ってその画面を見つめているのだろう。
わたしの通勤時間はたかだか30分程度であるし、そのうち電車に乗っている時間というと10分にも満たない。それでも今となっては「スマホを触るよりはKindleで何か読んでいたほうがよっぽど有益だな」と感じてしまう。画面の向こうから得られるものはほとんど心にも頭にも残らないということを知ってしまったからだ。

物理的に距離を置く

わたしはこれまで、スマホをできるだけ見ないようにといろんなことをしてきた。スマホの利用制限アプリを導入してみたり、普段ずっとモバイルネットワーク通信をオフにしてみたり、仕事中は電源を切ってみたり……だが何をやってもすぐに誘惑に負け、ついInstagramを開いてしまうということが多々あった。そして開く度に自己嫌悪に陥る。見ないと決めたはずなのに、なぜまた開いてしまうのだろうかと。

今回、意図的ではなかったとはいえスマホから物理的に離れる一日を送ってみることにより、「ないならないでも別に困ることはない」ということをようやく納得できたように思う。ただひとつ困ったことといえば、通勤中に音楽を聴けなかったことくらいだろうか。ウォークマンがあれば本当にスマホがいらなくなるな、と考えたこともあったのだが、電子機器をこれ以上増やしたくないということもありまだそこまでは踏み込めずにいる。

そういったただ1点の不便さがあるとはいえ、たまにこうしてスマホから物理的に距離を置いてみてもいいのかもしれないと感じた。仕事の連絡であれば社用携帯に届く。メールもLINEも、急ぎではないはずなので帰宅してから確認すればよい。Instagramなんて一日に一度開けば事足りるだろう。スマホの呪縛から逃れて、ゆっくり本を読む時間を作る。そんな日が週に何日かあってもいいのではないか。

電話とSMSと音楽再生だけの端末がほしい

今はdocomo時代に買ったスマホをそのまま使い続けているのだが、

もしも「電話とSMSとハイレゾの音楽再生だけできる」ような電話型の端末があればぜひ使いたいと思う。
LINEはできなくてもいい。メールもできなくていい。電話機としての最低限の機能と、2段階認証用のSMS。そしておまけ機能としてハイレゾで音楽再生ができれば嬉しい。わたしにとって必要なのはそういう端末なのであって、高機能なスマホはもう不要なのだ。

が、そんな端末が今のこのご時世で売れるようにはまったく思えない。どこかで実現してほしいので希望だけ書いておくことにする。

ここ最近、スマホが精神に与える影響について声高に叫ばれるようになったように思う。

スマホ脳(新潮新書)

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スマホから離れつつもスマホ前提になってしまった現代社会で生きていくための端末。そんなものがあってもいいのではないだろうか。