みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

わたしがライブハウスに行けなくなった理由

わたしがライブハウスに通うのを辞めたのは2020年4月のこと。
当時は大阪のライブハウスでクラスターが発生したということもあり特にライブハウスへの風当たりが強かった時期だ。

理解されない苦しみ

わたしは会社でもライブによく行くと話していたため、冗談交じりに「もうライブハウスなんか行ってへんやろな!?」と言われることもあった。その度に「いや〜今の状況じゃさすがに行けないっすよ〜あはは〜」と笑顔で流してきたものの、心の中ではちっとも笑ってなんかいなかった。
ライブハウスで生の音楽に触れ、息遣いに触れ、あの空気感に触れることはわたしにとっての大きな楽しみであり、生きがいでもあった。会社の上司からどれだけパワハラを受けようとも、友人だと思っていた人から裏切られようとも、「とりあえず次のライブまでは生きよう」と思うことができた。
ここまで書くと大げさに思えるかもしれない。しかしわたしは基本的に「死ねなかったから生きている」だけであり、生き続けるための理由をずっと探しているフシがある。恋人もおらず家族もいない身としては、ライブというある種の定期的なイベントこそが手っ取り早い「生き続ける理由」になっていたのだ。
そんなかけがえのない場所を奪われてしまうという哀しみは、この文化の外側にいる人たちにはとても理解できるものではない。そう感じたことを覚えている。

選択と後悔

下記の記事で兵庫慎司さんが書いてくださっているように、今はどのライブハウスもこの苦境を何とかして乗り越えようと様々な対策を実施している。
shinjihyogo.hateblo.jp

関係者各位や個々の観客の様々な対策も相まって、今ではライブハウスでクラスター、という話題は全く聞かれなくなった。客足は鈍っているというが、少しずつライブという文化が取り戻されているように思う。今はどちらかというと会食の場が悪者にされているのではないだろうか。

だがそれでも世間の目は厳しいように感じる。
社内でも、休日に外出することまでとやかく言われなくなったのはごく最近のことだ。少なくとも昨年の秋ごろまでは、社内掲示に「ライブハウスなどの場所に行くことは慎む」との記載がされていた。また、同僚との雑談の中で「友達の結婚式があるんだけど、少し遠いから行っていいものか悩む」という愚痴にも似た話をされることもあった。真面目であればあるほど、「自粛しなければ」という意識が重く伸し掛かるのかもしれない。

わたしは当初、「感染リスクを避けるため」「会社からの指示で」という理由を心に掲げ、所持していたチケットをすべて払い戻していた。そうしているうちに推しの解散が決まり、二度とライブに行くこともないだろうとの考えでイープラスからも退会した。
「これでよかったんだ」「会社のためでもあるし、推しのためでもある」「今はこうするしかない」……常々自分にそう言い聞かせていた。自分の選択は決して誤りではないし後悔もしない。そう思っていた。

しかしラストライブのDVDが手元に届き、封を切れない自分がいることに気づいた。

本当はこの場にいたはずなのに。
コロナ禍で苦しんでいるときこそ、応援する思いを届けるべきだったのではないか。
自分も対策をし、会場も対策ができているのだからそこまで自粛する必要はなかったのではないか。
本当は、彼らの最後の姿を間近で見届けたかった。

後悔はしないと思っていた。しかしどうしても後悔する気持ちを抑えることができなかった。
今はDVDのパッケージを見ることも辛くて、目に入らないよう押し入れの奥に仕舞い込んでいる。

乗り越えられなかった「世間の目」

わたしは感染が怖くてライブハウスに行けなかったのではない。ライブハウスを悪者だと見做す世間の目が怖くて、足を踏み出せずにいたのだ。
だからこそ後悔の気持ちが生まれる。ほんとうに自分で決めたのではなく、「怒られたくない」「非難されたくない」という気持ちから渋々決めたことだったからだ。
選択というものは、自分の頭と心が一致していない限りどこかしらに後悔が生まれるものだと思っている。頭では納得していたとしても、心が追いついていないまま決断を下してしまった。だから自分の決断を「これでよかったんだ」と心から受け入れることができない。

正体不明の「世間の目」を気にせずに生きることができればどれだけ楽だろう。
わたしがこれほどまでに世間の目や周りからの評価を気にしてしまうのは毒親の毒教育の賜物なのかもしれない。毒親から離れて1年が経っても、30年かけて植え付けられた価値観を覆すことはできないということなのだろうか。いつの日か「あのときはあの選択しかできなかったよね、仕方ないよね」と自分を許すことができるのだろうか。わからない。
わたしの中にある「親の目」、「世間の目」を無視できるような心の強さは、まだわたしには備わっていないらしい。

今日、何気なしに推しの公式サイトを見に行ったところ404になっていた。
跡形もなく、消えてしまった。
このコロナ禍の中で、ただのファンでしかないわたしにいったい何ができたのだろう。
考えても仕方がないそんな思いが、まだぼんやりと頭の中に浮かび続けている。