みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

家庭内カースト最底辺にいた頃の話(前編)

これまでの記事の中でも、何度か「実家→一人暮らし→実家→一人暮らし」の経緯について触れてきた。
今日の記事はその最後にあたる「実家→一人暮らし」の経緯についての話。時期としては2019年5月あたり、まだ世界がウイルスに侵されていないころのことになる。

崩壊した東京での生活

実家を出て一人暮らしに戻った話をする前に、まずは実家に戻ることになった経緯から説明しておく必要があるだろう。

2018年の9月まで、わたしは東京で生活をしていた。
2017年の末頃だっただろうか、仕事のストレスにより体中に蕁麻疹やアトピーができるようになってしまった。それがすべてのきっかけだったように思う。
月経困難症の治療のためにピルを飲んでいるにもかかわらずホルモンバランスは崩れ不眠の症状も出はじめ、特に天気の悪い日にはずっと息苦しくなりうまく呼吸ができないこともあった。
これは明らかにおかしいと感じて心療内科を受診したところ、「身体表現性障害」との病名がつき3ヶ月休職することになった。
あまり聞き慣れない病名かもしれないが、要するに「強いストレスが体の表面に出てきてしまう適応障害で、治療のためにはその適応できていない環境から離れる必要がある」ということだった。

このあたりの話もまたどこかで書こうとは思うが、休職の期間は結局どんどん延長されて6ヶ月、9ヶ月となり、一旦は復帰したものの復帰直後に同期から「あれ?生きてたんだ」と言われたのをきっかけに退職することを決意し、実家へ戻ることにした。

なぜ実家に戻ることにしたかというと、当時わたしは仕事のストレスをすべて買い物やライブ、遠征などなどの「お金を使うこと」で解消しようとしており、収入以上に無計画に支出したことでリボ地獄、すなわち借金に苦しんでいたからだ。

いい年をして本当に恥ずかしい話だと思う。周りは結婚して家を買ったりもしている中、年収700万オーバーだったというのに貯金がないどころか借金を抱えている。当時のわたしは見栄の塊だったので、ほんとうはお金がないことをわかっていながらも生活の質を落とすことができなかった。今振り返るとあの毒母とまったく思考回路が同じだということにぞっとする。
気づけばキャッシングの限度額もリボ払いの限度額もいっぱいになっている。その上その頃住んでいたアパートの更新期限も迫っていて、しかも仕事を辞めようとしている。わたしは自分の身の振り方を一生懸命考えた。

実家に戻ればとりあえずの住む場所はある。一度実家で態勢を立て直し、細々と働きながら借金を返しつつまた一人暮らしに戻ろう。そんな思いから「実家に帰って静養しながら働く」というシナリオを描いて転職活動を始めた。

違和感のある毒母の反応

「ゆっくり休みたくて。そっちに戻りたいんやけど」
わたしは母に電話でそんなことを話した。実家にはまだ妹がいたけれども、わたしが生活できる部屋があることは知っていた*1。就職してから何度か「しんどかったらいつでも戻ってきてええよ」とも言われていたので問題はないと思っていたのだが、

「そんな事言われても。困るわ」

母は冷たくそう返答した。「いつでも戻ってきていい」と言ったのと同じ口の発言なのだろうか?いつの間に母の人格は変わってしまったのだろうか?
今振り返ればそんな違和感を抱いた時点で実家に戻ることなどやめておけばよかったのだが、転職活動はもう始めてしまっていたこともあり引くに引けない。もやもやとした気持ちを抱えながらもわたしは実家に戻ることになった。

実家に戻るにあたり、わたしは自宅にあったたくさんのモノを処分した。メルカリに手を出したのもこのときだった。当時のわたしは同じ作品のDVD版とBlu-ray版の両方を買って「こんなに作品に貢献してます」とドヤってしまうような痛いオタクだったため自宅もモノに溢れかえっており、引っ越し作業はかなり難航した。結局ぎりぎりまで荷造りをしていたような記憶がある…
実家に戻るとなると家具はほぼ処分することになる。身の回りのものとどうしても取っておきたいものだけを持ち出して、最終的には段ボール箱10箱程度を宅急便で送るという引っ越しになった。

地獄の実家暮らし

かくしてわたしの新生活が幕を開けた。
転職先は大阪の会社だ。たまたま中途採用の人数を増やしている時期だったということもあって中途採用でも同期入社が多く、周りもとても優しく接してくれるので安心して仕事ができた。社内システムの構成に慣れないながらも、久しぶりに開発の仕事ができる*2ということに喜びも感じていた。

転職先はとてもホワイトなので定時にほとんど皆が帰り始める。ほぼ新人同様のわたしも例外ではなく、遅くても18時には会社を出ることになる。
ただ実家は神戸の山奥なのでどれだけ急いで帰ったとしても19時は回ってしまうことになる。まっすぐ帰宅してさてご飯をいただこうかとテーブルにつくと、そこにはラップも何もかけられず放置されてカッピカピになったごはん。
そう、実家の生活リズムは異様に早く、18時前には母も妹も夕食を終わらせて後片付けもしてしまっているのだ。
炊飯器にごはんを入れないのは、釜をさっさと洗ってしまいたいからのようだった。ホコリの問題もあるのでラップくらいはかけてほしい。いちいちめんどくさいとか、ラップがもったいないとか思っていたのだろうか。

その当時は「夕飯はありがたいけど……なんかおかしいな」くらいに感じるだけだった。自分の帰りが遅いのが悪いんだ、申し訳ないとまで思っていた。自分の状況をググってみると「帰宅が遅い旦那の夕食を用意するのがめんどくさい」という発○小町の記事ばかりがヒットしたので、「そうだよね、めんどくさいよね…申し訳ない…」とますます自分が悪いのだと思い込む結果になっていたというのもある。

母親の行動のほうが異常だと気づいたのは、職場で「早く帰らないと食事がカッピカピのまま放置されているから」と話したときに「それはちょっとあまりにもひどくない?」と本気で心配されたからだ。

言われてみて冷静に思い直してみると、これが父親の場合は「だいたいこれくらいの時間に帰ってくるから」と予測し、その時間に合わせて食事を用意していた。一方わたしに対しては数ヶ月が経ってもそのままで、合わせるという意識がないことは目に見えてわかった。扱いに差がありすぎるのだ。出戻りとはいえ、わたしも家族のはずだったというのに。
せめて一言「早めに夕食食べちゃいたいから夕食だけは自分で用意してね」と言ってくれればよかった。10年も一人暮らしをしていたのだから一通りの、それこそ母親よりも美味しく料理を作れるくらいにはなっている。何なら惣菜を買って帰って食べることもできる。もう大人なのだから。

…と当時は思っていた。
今こうやって当時の気持ちを書き出してみると、この問題は「家族なんだから言わなくてもそれくらい察してよ」という暗黙の驕りが存在していたことに起因して発生したように感じられる。彼女は彼女で当時の実家ルールを話しておけば、わたしはわたしで夕食は自分が勝手に作るので何もしなくていいと伝えておけば、こんなしょうもない問題は発生しなかったのではないだろうか。

しかしながら、彼女とわたしの過去から積み重ねられた関係からして、そんな生産的な話し合いはできなかっただろう。わたしは彼女に対しては自分の意見を飲み込んでしまう。そして彼女はわたしの意見を聞くことができない。お互いこんな状態では話し合いなどできるわけがない。「子どもが親に意見を言うことは一切許されない。子どもは親からのどんな理不尽に対してもYESと答えなければならない。」そんな考えにわたしは縛られていた。

何よりもわたしが傷ついたのは、夕食が無残にも放置されていることによって「お前はこの家の調和を乱す存在だ」と暗に告げられているように感じられたことだった。「本当はあなたの存在が鬱陶しくて仕方がないんだけど、一緒に住んでるのに食事を用意してないというのは世間的によろしくないから用意してあげたのよ。感謝しなさい」というメッセージを食卓から感じ取ってしまったのだ。

こう書くと「そんな大げさな…」と思われるかもしれないが、適応障害によりうつ病一歩手前の精神状態にいる身だと、そんな少しのことでも責められているように感じられてしまうのだ。わたしが心療内科を受診したと聞いたとき、母は「うつヌケ」を読んで「うつの人ってあんな感じなのね」と思ったとか言っていた。しかし本当に読んだのだろうか。読んだのだとしたらとてもじゃないが前述のような対応はしない、いやできないと思うがどうだろうか。

次回へ続く…

*1:ライブ遠征で大阪に行くときに寝泊まりさせてもらっていたため

*2:前職ではマネジメントをやらされていたが本当に向いていなかった