みやわきろく

団地でのびのびひとりぐらし

進学と就職だけは親の言いなりになってはならない(前編)

はてなブログのトップにあったこの記事を読んで、自分の過去を思い出したので書き残し。
www.regularno.com
わたしは「進学だけは親の言うとおりにし、就職は自分で決めた」という立場にいるが、進学に関しては人生で一番といってもいいくらいに後悔している。できることなら16歳に戻って人生をやり直したいし、自分たちの都合で子の大学生活を台無しにした親に対しては恨みと怒りの感情しかない。

もし、昔のわたしと同じように能力はあっても親に計画性がないがために人生を諦めかけている人がいて、この記事が一瞬でも目に入ったのなら、全力で「言うとおりにしない」という道を選んでほしい。

無計画だった両親

わたしに妹ができたのは、わたしが16歳、高校生のときのことだ。
妹ができた経緯については長くなるので割愛するが、当時の世帯年収は今になって想像するにおそらく400万円はいかない程度。貯金があるのかどうかとても怪しい。そんな状態で「できたから産む」と安易に判断したことに驚きを隠せない。

というのも、母親は料理もものの管理も苦手、あれやこれやと無計画に買い込んでは使わず腐らせてしまうようなことが多々あったからだ。彼女は父親が会社の社長だったこともありお金に不自由しない生活を送ってきていたので、結婚後もいわゆる「庶民の生活」に馴染むことができていなかったのだろう。
家計が無計画なのであれば、家族計画も無計画になる。ひとをひとり育てるのにいくら掛かるのか、上ふたり*1の子育てでわかっていたはず。それなのに将来のことも考えずに判断を下してしまったせいで、わたしの人生は大きく狂ってしまうことになった。

父親の失業

妹が生まれた翌年、父親が勤務していた会社が倒産。収入はなくなったというのに、どうしても生活水準を下げたくなかった母親は自分の買い物癖を一切直そうとはせず、自身の母親からの援助と実家の貯金を頼りにしていた。そしてにっちもさっちもいかなくなったのか、祖母やわたしに妹を預けパートに出ることになった。

当時わたしは17歳の高校生。自分は何もしていないのに、度重なる両親の失態にただ左右されるだけの人生を歩むことになってしまった。
もちろん逃げようと思えば逃げられたと思う。毒親育ちの方なら理解できると思うが、幼少期から「親の言うとおりにしないと怒られる、罰を与えられる」という生活が当たり前になっていたので、「逃げる」「反抗する」という選択肢はわたしの中には一切存在していなかった。わたしが取りうる選択肢は、「言うとおりにする」「我慢する」しかなかった。それが家族のためであり、何より自分のためであるのだと思い込んでいた。「思い込まされていた」の方が正しいかもしれない。

17歳といえば勉強もし、部活にも打ち込み、恋愛も楽しめるそんな時期。だというのに、青春を謳歌している周りを横目に、わたしは勉強もそっちのけ、部活は休部して子育て*2と家事を強いられていた。
正直この頃の記憶はほとんどない。心を守るため記憶に封がされているのだろう。長女だからという理由だけで家事と妹の世話を強いられ、自分の時間がずっと奪われていたことだけはぼんやりと覚えている。

高卒で公務員になるか、大学へ進学するか

そしてやってきた進路面談の時期。両親はわたしにこう告げた。

高校を卒業したら公務員になって、この家を助けてほしい。

わたしは「わかった」と答えた。もうこの頃になるとわたしは感情も自分の意志も失っており、親の言うとおりにすることが正解だと、いやそうするしかないのだと諦めていた。進学校だったので地元の国立大学への進学を志望している人が大多数な中、わたしは就職を希望するという旨を担任に伝えた。

進路調査票を受け取った担任は「みやわきさんほどの成績があるのに、大学に進学しないなんてもったいないですよ」と言い、その選択をやんわりと反対した。それを聞いた両親は、さすがに先生が言うならと自分たちの希望を取り下げ、大学に進学するようわたしに話した。ふたりとも学がないものだから、「先生」という肩書を持つ立場には非常に弱かった。
わたしはまた「わかった」と答えた。そこに自分の意志はなかった。大学に進もうが就職しようが、もうどうでもよくなっていた。どちらに進んだとて、わたしは自分の人生を歩むことはできないと諦めていたからだ。

進学先の選択に介入する両親

かくして両親の「娘をとっとと就職させて生活費を稼いでもらう」という計画は阻止された。しかしだからといって家計問題が解消されるわけではない。両親は、進学するための条件として

  1. 家からすぐ近くにあること
  2. 国公立大学であること

このふたつを提示してきた。自宅は結構な田舎だったが、調べると2校だけその条件を満たす大学があった。そのうちの1校は医学部内の別キャンパスだったので、文系だったわたしは消去法でもう一方の大学に進学することになった。

受験勉強はまったくする気になれなかった。一応赤本は買って一通り解いてみたものの、あまりにも簡単すぎてもう勉強しなくていいやと考えるようになり、高校3年生になってからはとにかく遊び呆けていた。普通はそこで志望校のランクを上げるところなのだろうが、上げると両親が提示した条件を満たさなくなってしまう。わたしに選択肢はない。
遊び呆けていても両親は何も言わなかった。ただ、周りの同級生が皆必死で受験勉強をする中わたしだけが遊んでいたので、自然と同級生たちの輪から外れるようになった。話しかけても無視されるようになり、休み時間も昼休みもひとりで過ごすようになっていった。楽しみなことといえば、携帯電話*3で小説サイトを巡ることくらいだったように思う。

そして2月を迎え、当たり前のように志望校に合格した。
そこには何の感動も、達成感も、存在してはいなかった。ただ合格証書がそこにある。それだけだった。


長くなってしまったので今回はここまで。

毒になる親

毒になる親

*1:わたしの下に弟がいる

*2:自分の子じゃないのに…

*3:校則がない高校だったので持ち込みも自由だった